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2012年1月23日 (月)

第124話 真空管と半田ごてで青春時代にトラベル

ことさら強い収集癖があるわけではありませんが、物置を整理していましたら片隅から半田ごてと共に真空管やら抵抗器、コンデンサなどがでてきました。今から数十年前、中学生(旧制)の頃、秋葉原の高架橋下の電気街を歩き回った日のことがまざまざと蘇ってきました。懐かしさのあまり、思わずそれらをソット撫でてしまいました。

 

P150

P151

ラジオを組み立ててスイッチオン。音が出た時の嬉しかったこと。初期のテレビ、これもキットを買ってきて組み立てました。あれから数十年の歳月が過ぎ、ご承知のように電子業界は全く様変わり。さしずめこれは「桑滄の変」の現代版と言ったところでしょうか。

老人が懐古趣味に浸っているなんて「そんなことなど聞いていられるか」と言った若者の声が聞こえてくるような気がします。

しかし若者達よ、今からでも遅くはない。絶滅寸前の電子機器、部品を始め、最先端を走るものも保存して置きたまえ。それらはきっと君達が高齢になった時に活力を取り戻すための原動力になると思いますよ。

さて私は取り敢えず(絶滅することを予感しつつ)何枚かのCDとDVDを保存するとしましょうか。

2012年1月 9日 (月)

第123話 大震災で原点が動いた

先の東日本大震災で経度、緯度の原点が地殻変動によって動いたと新聞で報じられました。この目で確かめたいと思い、東京都港区にある原点に行って来ました。

P24

             

国土地理院によって計測され、立派な表示板のその箇所のみ張り紙して訂正数値が表示されていました。張り紙でやってあるところなど、緊急事態を感じさせ切実感が伝わってきました。

P149

            

平成23年(2011年)10月21日付で改訂されたその値は下記の通りです。

北緯は35°39′29″1572で変わりませんが、

東経は139°44′28″8759から139°44′28″8869になりました。

すなわちこの度の大震災による地盤変動で、日本の経緯度の基準点が東に

約30cm動いたということです。

なお、ついでながら水準原点についても調べてみました。東京都千代田区にあります原点も変動し、上記と同じ日付で24.4140mから24.3900mになりました。

(これら原点については先に第10話―2006/10/06,2006/10/11―で震災前の状況について触れておりますので、よろしければ併せてご覧下さい、)

2012年1月 1日 (日)

2012年年賀状

明けましておめでとうございます

  P153

      

たつどしに因んで「たつ」と読み、且お正月に

ふさわしい漢字を拾ってみました

:侠客新門辰五郎   :経済成長、経年変化

:立志伝、立身出世   :大仏建立

:一念発起、発心   :起承転結、縁起

:裁量       :達人、幼友達、四通八達

これらの文字を含む言葉や場面が今年を

象徴することになるのでしょうか

2012年 元旦

Neptune

2011年12月20日 (火)

第122話 これらの数字にはどんな意味があるのだろう

先日の新聞の1面のトップにこんな記事が載っていました。

P148

             

東日本大震災を受けて、政府の地震調査研究推進本部が来る大地震の発生確率を見直したとの記事です。曰く「M9級の大地震の起る確率は30年以内に30%」とのこと。

国の内外の政治、経済などの緊急、重大事項を押しのけての取り扱い方です。私も真剣に目を通しました。でも判らないことばかり。

1.確率30%とは何の何に対する割合なのか。

2.確率30%というのは仮に有感地震が100回起るとすれば30回はM9クラスの地震が起るということか。

3.M6,7,8クラスでも可なりの被害が想定されるが、この場合の確率は。

4.30年と言わず10年とした場合どうなるのか。

5.だからどうしろというのか。M9に耐えられるような堤防や建物を作れと言うのか。M9に対応する避難訓練をせよと言うのか。

6.表題の繰り返しだが、この予測の数字にはどんな意味があるのだろう。このままでは何の指針にもならないと思うのだが・・・。

思い切って当事者は権威の衣を脱ぎ捨てて「現在の科学的知識を以ってしても推進本部の委員としてはこれしか言えない。あまり数字に拘ることなく、いずれ大地震が起るかも知れないと思っているだけにしていて欲しい」と注釈を付けたら如何でしょうか。

率直な発言によって、人々に科学は万能でないことを知らしめ、自然科学に親近感を抱かせ、そしていささか逆説的ではありますが信頼感を醸成することにもなるのではないでしょうか。

いずれにしても高邁な理論に基づいて算出したものなのでしょう。根拠がわからぬまま「信ぜよ」というのではあまりにもお粗末。素人にも理解できるよう、拠って来たるゆえんの判り易い説明が欲しいものです。

(これと同一趣旨のことをこのブログ2007/4/22付の第27話でも書きましたが、依然として疑問が残されたままになっていますので、再度採り上げました)。

2011年12月 4日 (日)

第121話 「奥の細道」旅立ちの地探訪

行春や鳥啼魚の目は泪 

芭蕉が奥州への旅立ちのときの留別の句です。深川の芭蕉庵を舟で出立し、ここ千住から第一歩を踏み出したとて、その旧跡を訪れてみました。

芭蕉ゆかりの句碑が千住の素盞雄神社(すさのおじんじゃ)にあるとて、境内を探すことしばし。社殿の軒下に隠れるが如くひっそりとありました。

目をこらして刻まれた文字を読み取ろうとしたのですが、彫りが浅く難渋しました。せめて気持ちだけと、数々の名句を思い浮かべつつ、芭蕉が多くの弟子たちに見送られて奥州へと日光街道に歩を進めたことにひたすら思いを巡らせました。

記録によればそれは元禄2年(1698)3月27日のこと。そして150日、600里(2、400km)の旅路が始まったのです。

Tky60

             

私が尋ねたのは芭蕉出立の時と季節は異なり晩秋の一日でした。折から澄み切った秋空を背景にした公孫樹の黄葉は句碑と鮮やかなコントラストをなしていました。

その時の芭蕉の感慨は思うべくもないのですが、ふと見れば高層ビルと木々の梢越しに開業を間近に控えた東京スカイツリーの先端がのぞいており、傍らの国道4号線(日光街道)を間断なく走る自動車の騒音に囲まれながらも、訪れる人影もまばら、旧跡につきものの茶店もなく、賑わいもなく、商業主義の気配もないこの雰囲気が芭蕉には似つかわしいのかも知れませんね。

  Tky63 この碑は千住大橋の北詰にある小さな公園に建てられているものです

2011年11月24日 (木)

第120話 気が付いたら挨拶のマナーが変わっていました

朝の挨拶さまざま

1.朝同僚と顔を合わせた時:「おっす」

2.朝の登校時小学生の列とすれ違った時:「おはよう」

3.門前を清掃していてご近所の顔なじみと顔を合わせた時:「おはようございます」

4.朝礼で社長さんが講壇から従業員に訓示を垂れる時:「おはようございます」

5.セールスマンが初対面の得意先のお偉いさんと会った時:「おはようございます」頭を下げてお辞儀

6.地位、年齢が上の人と会った時:「おはようございます}頭を下げてお辞儀

7.テレビでアナウンサーがカメラを通して視聴者に向かった時:「おはようございます」頭を下げてお辞儀

相手によって挨拶の仕方が変化するのは当然のこととして、上記様々のケースの中で5,6,7項《 「おはようございます」頭を下げてお辞儀 》の動作について最近微妙な違和感を覚えることがあるのです。

「それがどうした」と言えるほど些細なことかも知れませんが、例えばテレビの気象情報担当の気象予報士のお嬢さん、交通情報担当のお嬢さんの最初の挨拶を見る時のことです。

「おはようございます」と視線を視聴者に向けて挨拶。それに引き続いて頭を下げるのです。

Tky58          

その気になって観察して見ますとコンビニの店員さんもファーストフードのお兄さんも同様の手順。「有難うございます」と声を出し、しかる後に頭を下げているのです。

私共の年代では「おはようございます」と同時に頭を下げるよう躾けられ、そのようにしてきました。

念のため作法の教本で確認して見ました。それによると口頭での「おはようございます」と頭を下げる動作(お辞儀)が一体となって朝の挨拶となるとのことでした。

何時から変わったのでしょうか。

往年のマナーで挨拶をしていたのでは今時の若者には違和感を持たれるかも知れませんね。

時代の流れに乗るには細心の気配りが必要のようです。

2011年11月14日 (月)

第119話 晩秋に咲く花

紅葉も終わりに近く、枯れ落ち葉が地面を覆い始めた晩秋の一日、柔らかい日差しを受けつつ目を楽しませてくれるのが つわぶき、ほととぎす、さざんか。

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F39 F40

 

 

この季節に咲くこれらの花はさしずめ寡黙ながらもキラリとしたものを持った名脇役に徹した俳優を思わせるものがあります。

ジッと眺めていると芯の強さを感ずるだけに愛おしさ一入です。

2011年11月 4日 (金)

第118話 元寇(げんこう)

最近考古学者によって長崎県沖の海底から七百数十年前に元から押し寄せた船の残骸が発見されたとのこと。興味をそそられました。

たしか小学校のころだったでしょうか。元の大軍が我が国を併呑しようとて襲来、我が国も必死の防戦。その時神様のご加護か大嵐が吹き荒び元の船は悉く沈没。元は敗退したのです。「神風」の話と共に「元寇」の言葉は子供心にもしっかり植え付けられました。

ところでお恥ずかしいことながら活字になった「元寇」は読むことが出来るのですが、書くとなると「はて困った」。まして「寇」とはどんな意味?

漢和大辞典(藤堂明保編)のお世話になりました。曰く名詞としては「あだ」と読み、外から攻めこんで荒らす賊のことでした。(動詞では侵入して荒らす、乱暴する)。

判ったところで引き続いて生まれて初めて元寇と書いてみました。それが下記です。(よし、これからはスラスラ書けるぞ)。

P147           

この話。「ロマン」と言うにしてはあまりにも厳しい現実があったのでしょう。単なる物語でなく、歴史上の事実を知る上で貴重な発見であったと思います。

2011年10月24日 (月)

第117話 安全、保安、予知という言葉

東日本大震災とそれに伴って発生した福島原発の事故については発生から7ヶ月経った今日までに物心両面にわたり立場、職業、年齢などを網羅して極めて多くの方々の意見、感想、施策が述べられ、講じられてきました。

今更ここでこれに関連した私見を述べることは些細なことにしか過ぎないかと思いつつも、常に心の片隅にある「言葉を大切にしたい」と言った気持ちを表したく書いてしまいました。

その1:原子力安全委員会、原子力安全・保安院

私共はその名称をすっかり信じ、ここに属する人々によって原子力の安全性はしっかり守られているものと信じていました。しかしご承知の通り組織だけあって、原子力の安全管理について何の策も講じられていませんでした。そればかりでなくその対極を進んでいたのです。これらの組織はトップから末端まで可なり知能レベルの高い方々によって構成されていたのでしょうが、この人達はこれまでやってきた日常の業務と組織名に大きな差異があることに何の不都合を感じなかったのでしょうか。

日常生活でおなじみの安全ピン、安全ベルト、安全かみそり、会社の保安係など等立派にその機能を発揮しています。

P145        

それに対してこの人達は安全とか保安と言った言葉を冒涜してしまったのです。そして今日に至るまで全く反省すらありません。

言葉を使う時にはその責任の重大さを充分自覚すべきと思います。

その2:地震予知連絡会

その分野では最高水準と自他ともに認めている有識者によって組織された会であってもこの大地震を「予知」できなかったのです。私共はこの会では地震予知ができるものと信じていたのに見事裏切られてしまいました。「予知」という言葉をそのまま鵜呑みにしていたのです。

出来もしない予知を恰も出来るが如くこの言葉を軽々しく使うべきではないと思います。それにも拘わらず性懲りもなくあの震災後も「今後X年以内にY%の確率で震度Zの地震が発生する」と予知!?しているのです。

水槽の鯰はあの日もその前日も全く平静でした。烏は異様な鳴き声を発することなく生ゴミをあさっていました。占い師は茜色の雲が出たとも言っていなかったことを地震学者の皆さんは見習ったら如何でしょうか。

学識経験者、中でも地震学者は目前の現象を実に見事に説明していますが、「予知」は苦手なようです。地震学者は地震発生後その原因を極めて巧妙に説明する術に長けているのですから、いっそのことこの会の名称から人心を惑わせる「予知」をはずして地震現象解説会とでもしたら良いのではないでしょうか。

最近特に感ずるのですが、以上の二つの例から更に視野を拡げて見ますと、マスメディア始め政治家や学識経験者を先頭に醸し出す社会全体の雰囲気が、私共が独立して持つべき直感や基本的な感情「喜怒哀楽」、正義感、価値観などの思考の方向を誘導しているような気がします。そして私共は何の疑いもなくそれに乗せられているように思うのですが如何でしょうか。

2011年10月13日 (木)

第116話 今夏有効だった節電対策は

10月ともなれば世を挙げての夏季節電ムードも漸く終わりを告げましたので、このあたりで我が家の実情を振り返ってみました。

昨年も今年も思い出しても汗が滴る程の猛暑でした。今年の冷房電力を昨年のそれと比較してみました。

2011年(平23)

2010年(平22)

7,8,9月の平均気温

26.6℃

27.6℃

この期間に消費した冷房電力

458kwh

675kwh

2010年以前の5年間の実績から計算、予測した値

558kwh

675kwh

F37       

結果

今年は昨年に続いて猛暑の夏。しかしチョッと意外だったのですが平均気温が昨年より1℃低かったのです。これによる冷房電力の減少は17%と計算されましたが、実績は32%減となりました。

昨年も今年も設定温度は28℃、生活、環境条件は大きく変わっていないにも関わらず予測値より32%節電できたのは節電対策として「日よけスクリーン」を設置して直射日光が屋内に差し込むのを抑えたことが大きく影響したのではないかと思われます。その効果が15%の冷房電力減となって現れたといってよいのではないでしょうか。

地味なことながらゴーヤなどを植え込んで緑のカーテンを作るのも節電のためには有効な手段なのかも知れませんね。

註)平均気温は気象庁のホームページ所載の値を使いました。

  計算式や諸数値を求めた過程は煩雑になるのでここでは説明を省略しました。

  さらさらこの商品の宣伝をする心算は全くありません。念のため申し添えます。

2011年10月 4日 (火)

第115話 向島百花園で秋を満喫しました

「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもの。酷暑の夏も過ぎ去り秋風爽やかな一日、秋を探りに向島百花園を訪れました。

萩、ススキを始め秋の七草が気持ちを慰めてくれました。ふと見れば木々の梢越しに東京スカイツリーが覗いていました。百数十年前につくられたお庭と時代の先端を行く電波塔の取り合わせ誠に面白く、その雰囲気を写真に収めようと思いましたが私の腕前と貧弱な性能のデジカメゆえお見せできるような作品にならず、目前の萩のみを載せました。

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入園料65歳以上は70円。東京都も中々味なことをやりますね。

2011年9月24日 (土)

第114話 国会議事堂見学で出てきた幼稚な疑問

先に選挙した議員さん達がどんなところで仕事をしているのだろう、国家の一大事がどのようなところで審議され決められているのだろう等など。興味を持ちつつ予てからの懸案であった国会議事堂を見学する機会を得ることができました。

休会中とて係員と警備員が立ち働いているのみでした。初めてのこととて全てが物珍しく1時間程の時間はあっという間でしたが、興味とは別にこんな疑問が湧きあがってきました。

    Tky57

          

その1:衆議院本会議場に案内されました。次には参議院本会議場に行くのだと思いきやこれでおしまい。何故両方の本会議場を見せないのでしょうか。

その2:衆議院本会議場には天皇のお席が一段と高いところに設えてあるのにも関わらずこれまで一度もこのお席に着かれたことがないとのこと。そう言えば国会開会のときの天皇のお言葉は参議院本会議場に衆参両院議員が一堂に会してお聞きするのでしたね。何故衆議院本会議場でなく参議院本会議場なのでしょうか。

その3:ご承知と通り議事堂に向かって右が参議院、左が衆議院です。議事堂内部 衆議院と参議院の境界に柵などありませんが、廊下に線が引かれており私共参観者はこの線を越えて参議院側にはみ出すことは厳重に制約されています。何故こんなにうるさく規制しなければならないのでしょうか。

その4:議事堂を辞去してその前庭にある憲政記念館に参りました。これは議会制民主主義について一般の認識を深めるために作られたものにも関わらず展示の殆どは衆議院関連のもののみでした。何故両院を同じウエイトで展示、解説しないのでしょうか。そういえばこの記念館は衆議院事務局の管轄のようでした。

その5:上述のことなどから(議事堂の所有者は当然のことながら国なのでしょうが)議事堂の管理責任者はどなたなのでしょうか考えさせられました。どうも衆議院事務局と参議院事務局の間に微妙な上下関係があるような気がしますし、また内閣が国会を召集するときに議事堂の使用についてその管理者の許可を得ているのでしょうか気になるところです。

帰宅して戴いたパンフレットを改めて見ましたら表紙に「衆議院へようこそ」と書いてありました。国会議事堂の見学でなく衆議院の見学だったのですね。勘違いしていました。また参議院も見学しようと思えば改めて参議院事務局に申請しなければならないのでしょうか。

「こんな幼稚な疑問を持つようでは認識不足も甚だしい。憲法や国会についても一度勉強し直せ」といったお叱りが聞こえてきそうな気がします。

2011年1月 1日 (土)

2011年明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます

 P144 

    

卯年とて思い浮かぶのは・・・

 ・     二兎を追うものは一兎をも得ず

 ・     ウサギと亀の駆けっこ

 ・     お月様には兎が住んでいる

 ・     いなばの白兎

これらを頭の片隅において今年も変わらぬ

日々を送りたいと思っています。

旧年同様のご交誼の程お願いいたします。

2011年 元旦

Neptune

2010年11月 7日 (日)

第113話 「種」(しゅ)とは

先日名古屋で開催された生物多様性締約国会議で数々の取り決めがなされ、無事終了したことはご同慶の至りです。この場での決議に向けての原動力の一つに2百万とも3百万とも言われている「生物の種」の減少を如何に食い止めるかということが挙げられ、そのことが参加者全員の頭の中にあったと理解しています。

「種」とは。ものの資料で調べてみましたところ、専門家の間でも完全な同意を得られるような定義はないようです。そして生物の集団をどう捉えるかは研究者、研究の目的などによって異なり、全ての生物の分類に適用可能な種の概念は存在しないのだそうです。・・・ガックリ。こんな曖昧な数字を拠りどころにして議論していたのですね。・・・

生物学的「種」の概念(現在最も一般的に用いられている):同一地域に存在する生物集団が自然条件下で交配し、子孫を残すならば同一種とみなす。同一地域に分布していても遺伝子の交流がなされず子孫を残さないならば異なる種とみなされる。

生態学的「種」の概念:生物をその生活している場で分かれているかどうかを判断する立場。

その他「種」の概念には地理学的、進化論的、時間的等など色々な立場に基づいた概念、定義があるようです。

Tky14

        

さてそこで生物としての人(ひと)の種は。人種、肌の色、国籍、居住地、言語、知能、思想等などによって何種にでも分類されるのでしょうか。

否。

これらは社会的な産物に過ぎず上述の生物学的「種」の概念によるまでもなく「ひと」は全人類同一種であると思います。

いずれにせよ「種」の問題は複雑です。生物の集団は明確に分かれているとは限りません。生物のパターンはそれぞれの生物の進化の産物であり、そして進化のプロセスは現在でも進行中です。「種」の数は人知を超えて流動的であり、単純に数字にのみ捉われることがあってはならないのではないでしょうか。

2010年10月24日 (日)

題112話 筑波山を望んで宇宙食を食べました

秋晴れの好天に恵まれた一日、つくば市のつくばエキスポセンターに行ってきました。このセンターは今から25年前当地で開催された「科学万博-つくば’85」を記念して設立されたものです。大人はもちろんですが青少年が科学・技術に親しみを覚えることの仕掛けが数々あります。

それはともかくとして売店で思わぬものを見掛けました。「宇宙食」です。店の方の申しますのに「宇宙食」は日本中でここでしか売っていないとのこと。早速「宇宙たこやき」、「宇宙グラタン」、「宇宙ケーキ」そして「宇宙カレー」を締めて2,190円で買いました。

        

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百人一首の中の「筑波嶺のみねより落ちるみなの川戀ぞつもりて淵となりぬる」(陽成院)を思い浮かべ、秋空にクッキリ浮かんだ筑波山の稜線を眺めながら食べた宇宙ケーキは妙(タエ)な取り合わせながらまことに美味でした。そして過去何人かの宇宙飛行士もこれと同じものを食べて宇宙で活躍したことを思うとき宇宙が急に身近に感じられました。

帰路の道すがら中空に満月が輝いていました。時間が千年前から今日まで、空間も筑波山から人工衛星そして月までと思いが駆け巡る多彩な一日でした。

2010年10月21日 (木)

第111話 迷訳に迷惑しています

ふとしたことからこのブログが英訳されていることを知りました。一瞬こんなささやかなブログが世界中の人々の目にとまる舞台に出してもらえたものと誇らしい気分になり、いそいそと英訳された私のブログの中から2,3の記事を開いてみました。その中の一部を下記します。

英訳:Tsune Azuma:139°.latitude 35°

原文:東経139°。北緯35°

英訳:原文:Japan was a long tunnel, the tunnel was a kid Shinizu Joetsu Line..I felt excitement when the train passes by an electric locomotive pulled still can not forgot.

原文:子供の頃上越線の清水トンネルが日本一長いトンネルでした。電気機関車に引かれた列車に乗って通過した時感じたワクワク感は今でも忘れられません。

英訳:This point of elevation relative to mean sea level of Tokyo Bay has been set at 24.4140 meters.

Japan

called the level of origin.

原文:東京湾の平均海面を基準としてこの点の標高は24.4140メートルと定められています。日本水準原点といいます。

英訳:”Suikinchikamokudottenkaimei” slip from its seat while the world is real only if people like the convenience of the planet also learned Ware hard to define. Until yesterday, “what we in Japan,” also defined by how well the tunnel and the bridge was proud to Japan may slip through at any position, one day may change without any deformation and earthquakes the length of the coastline Remasen

原文:「スイキンチカモクドッテンカイメイ」と一生懸命覚えた惑星も定義が変われば人間様の都合だけで実在しながらその座から滑り落ちる世の中です。昨日まで「我こそは日本一」と誇っていた橋もトンネルも定義如何では何時日本一の座から滑り落ちるかも知れませんし、海岸線の長さも地殻変動や大地震がなくてもある日突然変わるかも知れません。

英訳:For example, look at the keyword Heibonsha Encyclopedia: The World Encyclopedia is “Galileo” and , Encyclopedia Britanica in “Galileo” has become.

He discovered the moons of Jupiter in 1610 the “Galilean satellites” is named,

U.S.

spacecraft was launched from Jupiter has been named in honor of Galileo it.

原文:百科事典の見出し語についてみると例えば平凡社:世界大百科事典では「ガリレイ」であり、Encyclopedia Britanicaでは「Galileo」となっています。

1610年彼の発見した木星の衛星は「ガリレオの衛星」と名付けられ、アメリカから打ち上げられた木星の探査衛星はこれに因んでガリレオと命名されました。

特別に意地悪くおかしな箇所のみを羅列したわけではありません。総てに亘ってこんな調子ですが、これ以上書くと吐き気を催しそうですのでこれ位にしておきます。

          

P143

完全に私の意向が粉砕されてしまったのです。即座にこの英訳ブログを削除するよう申し入れしようと思ったのですが、私に無断で誰が何時こんなものを公にしたのか判らず、丹精こめて育てた花壇を野良犬に荒らされたような感に捉われつつ途方に暮れています。

このことから色々なことが頭の中を去来しています。

1.検索画面から容易にこのデタラメなブログがでてきます。

最近大手の企業が検索ビジネスの力を入れていますが、一般的にその検索結果はひいき目に見ても50%も信用すれば良いと思います。

2.恐らく何らかの翻訳ソフトを使っているものと思われます。現在の翻訳ソフトはこの程度なのか、或はこの場合に可なり低レベルのソフトを使っているのでしょう。

3.もし翻訳作業の過程で翻訳を業とする人が携わっていたとし、この人が会社対会社、国対国のビジネス或は政治的に重要な話し合いの場合通訳をされているとするならば、重大な誤訳も平然と行われる可能性もあり慄然とするのです。

4.それにしてもこんなデタラメな翻訳が著者に無断で、しかも責任者も判らないまま公にされて良いのでしょうか。

5.英語のみならずフランス語、ドイツ語、ロシア語、中国語、韓国語等など各国語に翻訳されていますが、まだその正確さをチェックしていません。ことの成り行きから英語の場合と同じレベルのデタラメさではないでしょうか。

この記事がどのように英訳されるでしょうか。楽しみにしています。(「わが社の英訳は世界一正確無比であり、関係者から絶賛されている」と英訳されるかも知れませんね。)

2010年9月13日 (月)

第110話 旅客機機体整備工場見学の記

今から100余年前アメリカのライト兄弟が動力の付いた飛行機で世界初の飛行をしたことは良く知られた物語。その彼らが想像もしていなかったことでしょうが、100年後の今日では大は数百人の乗客を乗せた旅客機が羽田空港だけでも繁忙時には2分間隔で飛び立っているのです。そして整備工場、格納庫の大きいこと。想像以上でした。

記念写真は日頃あまり見かけない真正面から見たジェットエンジンです。(単純な感想ですが)「大きいですね」。

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整備工場ですので技術者、作業員が大勢立ち働いているかと思いきや、さにあらず、週日の午後3時と言うのに殆ど人影なし。疑問を投げかけようと思えども説明員は台本通りのセリフを述べて「ハイ おしまい」。楽屋裏に消えてしまいました。

超近代化された航空機の整備は殆ど人手を必要としないのか、たまたま当日仕事がなかったのか、整備作業は一般人に公開したくないのか判りませんが、「生きた」整備の実際を見たかった期待に反し著しく物足りない後味が残りました。

「工場見学」と言うより「飛行機博物館見学」といったところでしょうか。

2010年8月28日 (土)

第109話 生物多様性条約

これまであまりおなじみでない条約でしたが、このところ新聞紙上でもお目にかかることが多くなってきました。今秋名古屋でこの条約に関する締約国会議が開催されることによるからなのでしょうか。

このようなことからこの条約にチョッと考えを巡らせてみました。

1992年5月に制定され、第一条にその目的が述べられています。曰く

「この条約は生物の多様性の保全、その構成要素の持続可能な利用及び遺伝資源の利用から生ずる利益の公正かつ衡平な配分をこの条約の関係規定に従って実現することを目的とする。」

専門家が作文するとこうなるのですかねー。何となく漠然と判ったような、しかし深く考えてみれば何も判らないような気がします。―いやー難しいですね―

生物の多様性は人類の生存を支え、人類に様々な恵みをもたらすものです。生物に国境はなく一国だけでなく世界全体でこの問題に取り組むことが重要ということなのでしょう。

さらに身近なことで言えば里山を保全しよう、絶滅に瀕している動植物類の生息環境を保護しようと言ったことになりますか。

一転私共の生活環境を見回してみました。蚊、ゴキブリ、鼠等などこれ以上多様化したら困ります。一刻も早く絶滅したいものです。それにも拘わらず、これら生物の生息環境を保全しようとは全く無思慮と言うしかありません。それとも彼らも一生懸命生きているのだから精一杯の慈悲心を持ってそれらの増殖を助成すべしと言うのでしょうか。

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それよりも更に重要なことは「人類」も「生物」であると言う認識です。

国家、民族、歴史、宗教、生活習慣、肌の色 等など全世界64億人の人々が多様性を保ちつつ生存しています。しかし残念ながらこのところ多様性を蹂躙する所業があまりにも目についています。身近な例を挙げれば捕鯨、いるか漁、クロマグロ漁などがあげられます。

また極端な例で申し上げれば現在世界何箇所かの地域でおこっている紛争なども「人類の多様性」を否定したことに起因するものだと思います。

一部の人が自説を固持しつつ、自らが万能であり「全ては我の前にひれ伏せ」といった独裁者的思想を持って多様性を錦の御旗として掲げ、この条約を振りかざしているとしか思えないのです。

そこかしこに里山を作るのは大変結構なことですが、その前提として「人間の多様性」を認識することではないでしょうか。

どうしてもこの条約を存続させたいとの意向が大勢を占めるのであれば、皮肉を交えた妥協案として、上述した「目的」に注釈をつけて、『但し「生物」の定義から人類を除く』と加えることでしょうか。

2010年8月16日 (月)

第108話 真夏の庭スケッチ

今年の夏は異様としか表現しようがない程の暑い日が続いています。私ども少々へばり気味の中で唯一元気一杯なのは夏に咲く花。わが世の春、いや夏を謳歌しています。

百日紅(さるすべり)、ノウゼンカズラが今まさに盛りです。真夏の青空と強い日差しが引き立て役です。

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それとも一つこの季節に忘れられないのは夾竹桃です。文学作品にもしばしば登場

ますが我が家にはありません。と申しますのもあの太平洋戦争末期、ジリジリ照

りつける真夏の太陽の下夾竹桃が咲いていたのを思い出すからなのです。夾竹桃に

の罪もありませんが、あの時の悪夢が蘇ってきて居たたまれない気持ちになるか

なのです。

                       

ふと足許を見ればサボテンの花。いかつい棘だらけの躯体に似合わず可憐な花です。僅か一日だけの命ですが清涼感を漂わせています。

F34           

           

藤棚には狂い咲きの藤の花一房。

植木屋の親方の言うには今年は例年に比べて毛虫の発生が少なく、蜂の数が多いとのこと。気候のセイなのでしょうか。

木々の徒長枝やら雑草でやや荒れ気味の真夏の庭を彩る花々、中々捨て難いものがあり様々な感興を掻き立ててくれます。

2010年7月31日 (土)

第107話 「平均」を考える

平均」。どこにもカドのない平和な響きを持った言葉ですね。そこで日常しばしば接することのある「平均」の二文字の入った言葉を挙げてみました。

少しでも「統計」に触れられた方からすれば幼稚な文意かも知れませんが、まあ聞いて下さい。

平均気温:地球温暖化の話の中に決まって出てくる言葉です。私共は日常どれほど平均気温を体感しているのでしょうか。気象庁のホームページから東京の観測値に目を通してみました。

2010年4月:日平均気温が当月の平均気温±0.5℃になった日数:4日、

        それより低い日平均気温の日数:12日

        それより高い日平均気温の日数:14日

2010年6月:日平均気温が当月の平均気温±0.5℃になった日数:8日

        それより低い日平均気温の日数:8日

        それより高い日平均気温の日数:14日

これから判ることはひと月の中で平均気温を示す日は意外に少なく、特に季節の変わり目にあたる4月は平均気温の日は一ヶ月に僅か4日で殆どの日は平均気温より高いか低いかでした。一般的にはある事象で殆どの値が平均値になり、平均値がその事象を代表する値であると思っていましたのに、どうもそうではないようです。

このような実情ですのに地球温暖化の重要な指標として平均気温を挙げているのは何故なのでしょうか。深い疑問の闇に入り込んでしまいました。

平均寿命:日本は世界一長寿の国になったとのこと、おめでたい限りです。

悪ガキの頃からの幼なじみと久しぶりに会ったときの80歳の老人同士の遠慮のない会話。「元気そうで結構だね」「でもお互いに平均寿命(79歳)を過ぎ、統計が示す年齢に充分達したのだから、これ以上余分に生きて若者のお世話にならないよう心掛けて、お迎えを待とうや」。「・・・・」。お互いに白けてしまいました。

ところで平均寿命とは「現在の死亡状況が今後変化しないと仮定したときに今生まれた赤ちゃんが何年生きられるかという期待値」だそうで、複雑な統計的計算をして算出するようです。(この1年間に亡くなった人の死亡時の年齢の平均値ではなく、0歳児の平均余命とも言えるものです)。

〔ご参考までに80歳の老人の平均余命(あと何年生きられるかという期待値)は最近の計算結果によると男8.45歳、女11.32歳とのことです〕。

と まあこんな訳で、上述の老人同士の会話のように平均寿命の理解不足をさらけ出してしまいました。それにしても何故ここで「平均」なる語を使うのでしょうか。

平均点:全国学力調査に代表される様々な学力テストが行われています。その結果すなわち平均値について学識経験者はじめ教育関係者の間で多くの論議がなされています。

1+1=2であり、答はそれ以外にはありませんが、世の中にはそんなことばかりではありません。事柄によっては10人いれば10通りの正解があります。学力とて同様なこと、その多様性を重んずるならばここで平均点を出すなんて全く無意味なことではないでしょうか。

一般的には平均点なんてほんの一部の学力の評価には意味があるかも知れませんが、個人の学力をテストの平均点のみで評価するのは全くナンセンス。個性のない平均的な人間ばかりが群がっている社会を思っただけでもウンザリです。

むしろ平均点から外れる人を認め育てることが教育の原点であり、ここから活力に満ちた個性豊かな創造性のある人間が育つのだと思います。

と このように「平均」と付く言葉を並べて見ますと、その値が実態とかけ離れていても真実を現わしていると思わせる何か(魔物)が潜んでいるような気がします。

Tky43               

             孔子像(湯島の聖堂にて)

ふと「中庸」なる言葉が頭に浮かんできました。孔子の思想を継承した子思の書とされている中国の哲学書の一つです。浅学な私には到底充分に理解するまでに至っていませんが、天と地を結ぶ深奥な原理を説いたもので、考え方や行動などが一つの立場に偏らず中正であり、過不足なくさりとて単純に中間をとれば良いというのでなく極端に走らないことと言っています。

「足して2で割る」といった単純なものではないようです。-いやー難しい-。

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